PRODUCTION
NOTE
<すべての外へ>
〜プリプロ〜
2008年9月。映像団体P-kraftに、福島拓哉から要請が入る。
「久し振りに長編を撮りたいから、手伝ってくれないか」
史上最強のインディーズ映画は、静かにその歯車を回転させ始める。
前作『PRISM』から8年。同作で観客動員記録を築いたシネマアートン下北沢は閉館し、野心的な新作企画が流れてしまう放熱の日々。ショーン・ペン『イントゥ・ザ・ワイルド』観賞後の高揚が、長編企画を再燃させる。
「映画は、第一義的に映画である。だから映画監督は、映画を作ればよい。そこに立ち返りたかった。」
福島は年内に撮影を決意した。その時、9月半ば。
無謀。
誰もが思い提言し、監督の熱意にあてられて、いつしか合流し、協力体制が出来ていく。
商業映画の制作体制とはわけが違う。というか、枠が違う。
撮影準備も佳境に至る頃、訃報が告げられる。
P-kraft創設メンバーにして、福島拓哉の盟友・泉常夫の逝去。Pk最悪の1週間。
久しぶりの劇場作品を、自主制作で挑むことになり、数々の試練を乗り越えている最中に、突然起きた最大の試練。盟友の死というリアル。監督含め、全ての撮影準備は1週間の完全停止。沈黙の数日を経て再始動した作品準備の連絡を、福島はこう結んだ。
「少しずつ無理してもらう事になると思うけど、ぜひご協力いただけるとありがたいです。あと一つ。とても大切なこと。この映画が現場も公開もリリースも全部終わるまで、絶対にもう誰も死ぬな。監督命令。」
金銭授受に寄る契約関係ではなく、信頼と心意気で繋がるのが自主制作の現実。日々の生活を抱えたスタッフは、合流しては散会し、撮影準備は遅々として進まなかった。
楽しくて、切なくて、奇妙なケミストリー。
そんな中、主要キャスト、草野康太、呂美、川野弘毅、珠几、岩崎高広など、福島自身の監督生活を支えて来た人脈と映画愛が次々と実るようなキャスティングが実現していく。
知己の監督から撮影機材の提供。映画学校からの機材貸与。技術会社からの特機貸与。無償協力で実現するロケ地の数々。常識では計れない、無数のケミストリーが起きていた。
全ては監督自身の熱意のもとに。そして素晴らしき映画のために。
<東京の、ある冬の、ある夜>
〜撮影風景〜
2008年12月23日。クランクイン。
2時間のドラマ、そして8年振りの新作を、10日間のスケジュールで強行する福島組。初日は既に極寒の季節。
撮影の永野敏は、福島拓哉との初組合わせ。自身も監督としてメガホンを握ることもある。永野は、福島の要求の根本を素早く把握し、映像として結実させる。初日、公園での導入シーン撮影でリズムを掴んだ二人は、次々と過酷なスケジュールの撮影日程の中で、美しさと切実さを醸し出す映像を切り出していくことになる。
28日。大量のエキストラを動員する撮影日。午前中に下北沢での雑踏シーン、間にデザイン学校での撮影を挟んで、夜、都庁前での集団感染シーンまで。50名弱のエキストラさんに出演してもらう。
特に夜の撮影は、前撮影・撮影準備・演技指導時間が押し、極寒の中で数時間の待ち。映画の端々でしか映らない方々。それでいて映画の雰囲気を支える要職な彼らの存在。休憩時、地下鉄入口に避難して暖をとり、待ちを謝るスタッフに、笑顔で応えてくれた彼らに、スタッフ一同が心を打たれた。
29日。美術・菊地実幸の作り上げたテルの部屋。彼女の任務は映画の随所に込められた、イメージの具現。暗喩的に散りばめられているものもあれば、舞台として具象化し、映画の進行・キャストの個性を印象付けるものもある。
この日撮影したテルの部屋、前日入りで作り込みを行ったものの、監督との意見が合わず、急遽作り直し。結果としてテルの個性を印象付け、そこで起こる事件を包括する不思議な空間を作り上げることになった。
2009年1月5日。クライマックスの海。
前日撮影をほんの気持ちだけ早く切り上げ、早朝というか深夜再集合しての地方ロケ。映画自体のクライマックスシーンである『どこでもない場所』のロケ地へ移動。
海・廃墟・無人電車・森・見晴らしの良い道、概念としての都市・東京をモチーフに描いた映画でありながら、その反証ともいうべき、100年前に滅びた都市というモチーフで、感情の振り幅を最大限に描く試み。
衣装・澤田尚樹と、衣装製作・くがあすかのコラボレーションした衣装がひときわ美しく、幻想的なロケーションに映えている。
そして、クランクアップ。
<平坦な戦場>
〜ポスプロ〜
そもそも予算というものが、概念としてすら存在しないインディーズの極みでは、撮影と同様、編集にも数多くの試練が降り掛かる。編集はノンリニア機で行われ、1月はマシンスペックの調整、及び拡充に費やされた。監督自身による編集作業と、デジタルアーティスト・丸山祐司によるカラーコレクション及び映像修正作業が進む。
同時進行で作業していたCG制作・佐久間浩一による『大量に舞うカラス』が追加され、音楽担当の関口純、UNproによるコラボレーションの音楽が追加されて行く。
2009年6月9日。
某劇場にて『OUR BRIEF ETERNITY』0号試写。制作スタッフ及び関係者のみを招いての試写。
「最初に挨拶。ちゃんとみんなに感謝を伝えたかったので、マジメにしゃべる。そしたら途中でぐっときてしまい、一瞬泣きそうになるがこらえる。自分で人呼んで自分でしゃべって泣いたらかっこ悪いことこの上ない。あぶなかった。」
0号だけに幾つかの問題点が露見し、試写後、さらなる修正作業に入る。
<僕らの短い永遠>
〜東京国際映画祭〜
2009年8月某日。
東京国際映画祭ある視点部門ノミネート内定。
2009年10月17日
東京国際映画祭オープニングセレモニー。
そして2009年10月20日&22日、『OUR BRIEF ETERNITY』ワールドプレミア上映。
ここまでが長かったのか短かったのかわからない。そして海外展開という新たな旅を経験し、一般公開へと辿りつくことになる。